阪神・淡路大震災
1月17日 / マグニチュード7.3
住家は全壊10万4,906棟、半壊14万4,274棟。久野は被災地で屋根の復旧・復興に携わりました。
TOTTORI / CRAFTSMAN & RIDER
久野 光博 MITSUHIRO KUNO
必要とされる場所へ技を届け、自分の夢も手放さない。
鳥取の瓦職人、そして鈴鹿8耐ライダー。
鳥取市を拠点に活動
瓦葺き一級技能士
鈴鹿8時間耐久ロードレース
TWO WORLDS. ONE LIFE.
屋根の上では、暮らしを支える職人として。
サーキットでは、夢に挑むライダーとして。
転んだことも、ばかにされたこともありました。悔しくて涙を流し、心が折れそうになった日もあります。それでも、人の優しさに支えられ、歯を食いしばって走りつづけてきました。夢を諦めず、自分のチームをつくった久野光博。その歩みを知るほど、次の挑戦を応援したくなります。

瓦葺き一級技能士 / 久野巧業
鳥取で瓦葺職人として働く久野光博。屋根を葺く仕事は、雨や風から住まいを守り、そこに暮らす人の日常を支える仕事です。
阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、鳥取県中部地震、大阪府北部地震、そして能登半島地震。各地の被災地で、瓦葺職人として屋根の復旧・復興に取り組んできました。身につけた技術を、必要としている場所へ。その仕事も、久野光博を紹介するうえで欠かせない歩みです。
誰かの暮らしのために屋根へ。
自分と故郷の夢のためにサーキットへ。
どちらにも、本気で向き合ってきました。


職人の写真:ご提供のテレビ放送画面より。
SIX DISASTERS / ONE CRAFTSMAN
地震で瓦が落ち、屋根が壊れると、雨から住まいを守ることが難しくなります。屋根の復旧は、被災した方が日常を取り戻すための大切な仕事です。
久野光博は、六つの大きな地震で瓦職人として復旧・復興に携わってきました。2016年の鳥取県中部地震では、ライダーである前に職人として被災地の屋根に上り、その姿が地元テレビや新聞で報じられました。以下の震災規模は公的資料で確認し、久野本人の活動歴は、本人を長く知る船本真弓監督から提供された記録に基づいて掲載しています。
1月17日 / マグニチュード7.3
住家は全壊10万4,906棟、半壊14万4,274棟。久野は被災地で屋根の復旧・復興に携わりました。
3月11日 / マグニチュード9.0
津波を伴う未曽有の災害で、住家は約13万棟が全壊、約27万棟が半壊。久野は東北の被災地で復旧・復興に携わりました。
4月14日・16日 / 最大震度7
震度7を二度観測し、住家被害は計約16万棟。久野は瓦職人として屋根の復旧・復興に取り組みました。
10月21日 / 地元・鳥取
屋根の修繕が長期に及んだ地元の震災。久野は鳥取の職人として、住まいの復旧・復興に力を尽くしました。
6月18日 / 最大震度6弱
全壊21棟、半壊483棟、一部破損6万1,266棟。損傷した屋根への応急支援も行われる中、久野も屋根の復旧・復興に携わりました。
1月1日 / 能登半島
屋根等が損傷した住家を雨から守るため、久野は被災地へ赴き、ブルーシートを張る応急作業に携わりました。
内閣府、総務省消防庁、鳥取県の公的資料をもとに記載しています。

SUZUKA 8 HOURS
日々の仕事とともに続けてきた、レースへの挑戦。
久野光博は、仲間と力を合わせながら、
鈴鹿8耐のスタートラインを目指してきました。
2026年は、Verity & fenice with KIRINJISHIのライダーとして参戦。
雨の鈴鹿で、チームは171周を走り、完走を果たしました。
2026年のチーム成績 / 2027年鈴鹿8耐シード権獲得

A STORY OF NEVER GIVING UP
思うようにタイムが出ない。マシンの調子も整わない。転倒して、けがや骨折を重ねた。「遅い」と言われ、ばかにされ、悔しくて涙を流したこともありました。何度も心が折れそうになりました。
それでも、久野はひとりではありませんでした。もう一度、背中を押してくれた仲間。限られた資金の中で、部品やタイヤを提供し、挑戦を支えてくれた人たち。そして、多くを語らず見守ってくれた家族。人の優しさに触れるたび、歯を食いしばり、もう一度マシンにまたがりました。
やっぱり、バイクが大好きだ。
誰よりも、速く走りたい。
国際ライセンスの取得から、およそ10年。2022年8月7日、鈴鹿8耐。久野は念願だったスタートライダーの位置に立ちました。大観衆のカウントダウンと拍手の中、ル・マン式スタートの瞬間を迎えたのです。
その年の3月、最愛のお母さまが逝去。久野は鈴鹿のホームストレートで両手を空へ掲げ、夢が叶ったことを伝えました。
同年10月には、お父さまも逝去。遺品を整理する中で、2019年の鈴鹿8耐出場を報じた地元紙の記事が大切に保管されていたことを知ります。多くを語らずとも、父は息子の挑戦を誇りに思い、見守っていました。
けれど、夢は叶えて終わりではありませんでした。次は、自分のチームで世界の舞台へ。その思いは、2023年のfenice再始動へ、そして2025年、独自チームのオーナー兼ライダーとして挑んだ鈴鹿8耐へとつながりました。
うまくいったから、続けたのではない。
うまくいかない日にも、やめなかった。
だから私たちは、久野光博の次の一周を応援したくなる。
船本真弓「夢が叶った一人の男。しかし、それは自分の挑戦へ・・・」(2023年1月15日)をもとに構成。
SUZUKA SUNDAY ROAD RACE
鈴鹿サンデーロードレース開幕戦、JSB1000 INTクラス。久野はゼッケン26のマシンにまたがり、目を閉じて胸に手を置きました。静かに気持ちを整え、その時を待つ。周りには、いつも挑戦を支えてきた仲間がいました。






表彰台だけを見れば、一瞬。
けれど、その一瞬までには、転んだ日も、涙を流した日も、支えてくれた人たちとの時間もありました。続けてきた日々が、ひとつの結果になった日。だから、この3位は次の挑戦へ向かう力になりました。
06 / BETWEEN THE LAPS
ピットでコースを見つめる背中。
仕事の現場でこぼれる笑顔。
走行写真だけでは伝わらない、久野光博の姿があります。
夢へ向かう時間も、日常の仕事も。
その両方を知りながら、次の挑戦を見届けていきたい。

人口の少ない鳥取から、鈴鹿8時間耐久ロードレースという世界の舞台を目指す挑戦が始まる。
共同体制で鈴鹿8耐に参戦。翌年の久野光博初出場へ、道をつなぐ。
現オーナー久野光博が、初めて鈴鹿8耐の舞台に立つ。
共同体制は解散。それでも夢を途切れさせず、独自チームとしての再出発を誓う。
鳥取県中部地震の被災地で屋根の復興作業に従事。その姿が地元テレビや新聞で報じられ、「鈴鹿8耐を目指す瓦葺き職人」として広く知られるようになる。
2019年と2022年に他チームから鈴鹿8耐へ出場。2022年8月7日、念願だったスタートライダーを務める。
久野光博がオーナーとなり、鳥取から鈴鹿8耐を目指す活動を再び動かす。
瓦職人として能登へ赴き、損傷した屋根にブルーシートを張る応急作業に携わる。
監督・船本真弓とライダー・久野光博が発起人となり設立。県議会議員が理事を務める体制を築き、行政と連携しながら地域に根ざした基盤を整える。
久野光博がチームオーナーとライダーを兼ね、独自チームで鈴鹿8耐に参戦。麒麟獅子の名を掲げ、チームは171周を走り完走を果たす。
4月26日、鈴鹿サンデーロードレース開幕戦のJSB1000 INTクラスで3位表彰台。7月の鈴鹿8耐では、豪雨の中をチームで171周走り、総合34位で完走。2027年のシード権を獲得する。
ONE TEAM

8耐は、ライダーだけでは走りきれません。監督、メカニック、スタッフ、そして応援してくださる方々。ひとりひとりの力が、次の一周へつながっていきます。
写真をタップすると大きく表示できます。
KEEP CHEERING
何度転んでも立ち上がり、必要とされる場所へ技を届けながら、鳥取から世界の舞台を目指す。
久野光博の次の一周に、あなたの応援を届けてください。